序:記憶の海に浮かぶ泡のように
人は「覚える」ことを善とし、「忘れる」ことを悪とする。
それは、学びとは積み上げるものであり、
忘却はその逆、つまり「失うこと」だと信じているからだ。
だが私は、あるとき思った。
──忘れるというのは、本当に悪いことなのだろうか?
記憶とは、海のようなものだ。
波にさらわれて、
いくつもの言葉や感情が底へ沈んでいく。
けれど、沈んだものがすべて「無駄」だったわけではない。
むしろ、その沈黙の底で、
時間をかけて磨かれ、
心の奥に静かに形を変えて残っていることもある。
忘却とは、単なる喪失ではなく、
知が静かに熟成していく過程なのかもしれない。
忘れることは、「選び取ること」でもある
私たちの脳は、膨大な情報をすべて保存できるわけではない。
むしろ、そのほとんどを忘れるようにできている。
それは欠陥ではなく、
生きるための知恵だ。
もし、すべてを記憶していたら、
人は動けなくなる。
過去の痛みや失敗、羞恥、後悔──
それらがすべて鮮明なままなら、
今日を生きることが苦しくなってしまう。
忘却とは、脳と心が「必要なもの」だけを選び取る働きである。
だからこそ、忘れるということは、
実は“生きる方向を選ぶ”という行為なのだ。
何を捨て、何を残すか。
無意識のうちに、
私たちは自分の人生を取捨選択している。
記憶とは「保存」ではなく、「変化」である
私たちは、記憶を“写真”のように考えがちだ。
過去の出来事を、そのまま保存していると。
しかし実際には、記憶は常に書き換えられている。
思い出すたびに少しずつ変形し、
そのときの感情や状況に合わせて姿を変えていく。
つまり、記憶とは固定されたものではなく、
生きているものなのだ。
だからこそ、
「忘れる」という現象も、
“記憶が死ぬ”ことではなく、
“記憶が新しい形へと変わる”ことだと言える。
時間が経ち、痛みが薄れ、
その出来事を笑って話せるようになったとき。
それは忘却ではなく、
記憶が昇華された瞬間である。
忘却とは、記憶が静かに“成熟”していくプロセスだ。
忘却は、知を「沈殿」させる
人は学びながら、同時に忘れていく。
読んだ本の内容も、学んだ理論も、
時間が経てば、驚くほど消えてしまう。
しかし、それでいい。
読んだときには理解できなかったことが、
ある日、ふとした瞬間に身に沁みて理解できる。
そのとき、私たちは気づく。
「知識は消えたのではなく、沈んでいたのだ」と。
知は、沈殿してこそ意味を持つ。
頭の表層から消えたものが、
心の底で、別の形となって息づく。
つまり、忘却は知の死ではなく、再生の準備である。
学んだことのすべてを覚えておく必要はない。
必要なものは、きっと必要なときに浮かび上がってくる。
それが、知が“自分のもの”になる瞬間だ。
忘れることができない人は、前に進めない
忘却には、慈悲の働きがある。
人は誰しも、傷つく。
失敗し、誰かを失い、裏切られ、
どうしようもない夜を抱える。
もし、その痛みを永遠に覚えていたら、
人は生きる勇気を失ってしまうだろう。
忘れることは、逃げることではない。
それは、再び歩くための力だ。
傷を完全に消すことはできない。
だが、痛みの輪郭が薄れるとき、
人はようやく次の一歩を踏み出せる。
「時間が解決する」という言葉の本当の意味は、
時間が忘却という癒しを与えてくれるということだ。
忘却がもたらす「余白」
すべてを覚えていたら、
人の心には余白がなくなる。
忘却とは、
心に“空間”をつくる行為でもある。
余白のない絵が息苦しいように、
記憶で埋め尽くされた心もまた、
新しい感情や発想を受け入れられなくなる。
だから、忘れることで私たちは「新しい自分」を迎え入れられる。
忘却は、過去を消すのではなく、
未来を迎えるための空きをつくる行為なのだ。
「空っぽになる」ことを怖れないでいい。
空っぽであることは、
次に何かを満たせる可能性の証だから。
知とは、覚えておくことではなく、残ること
私たちは「記憶力の良さ」を称賛する。
だが、本当に価値があるのは「記憶」ではなく、「残響」だと思う。
本を読んだあと、内容をすべて覚えていなくても、
心に何かが静かに残っていれば、それで十分だ。
──ある言葉の余韻、
──登場人物の視線、
──そのとき感じた温度や空気。
それらは、やがて形を変えて、
思考の癖や、生き方の選択に影響していく。
覚えていなくても、
その人の中に“残る”ということ。
それが、知の本質ではないだろうか。
知とは、「記憶する力」ではなく、
**「心に沈む力」**なのだ。
結:忘れることを、もっと恐れずに
忘れるということは、
「なくす」ことではない。
「手放す」ことだ。
そして、手放したものだけが、
本当に自分の中に根を張る。
すべてを抱え込む人ほど、苦しくなる。
忘却は、過去を否定することではなく、
過去を“静かにゆるす”こと。
何を覚えておくかよりも、
何を手放せるか。
その選択こそ、成熟の知だと思う。
忘却は、知の終わりではない。
それは、知が沈黙へと還る瞬間。
そして沈黙の中から、
また新しい知が芽吹いていく。
